ここに書く低所得者というのは、実際は夫に稼いでもらっているから、暮らしぶりは豊かだが、いざ、自分一人になると経済力がない女性のことも含めている。
こういった夫に経済的に依存している女性は
女性同士で傷を舐め合い、誰かが変化することを猛烈に批判する。
なぜなら、その人が自立して、しあわせになってしまうことは自分の不幸を認めてしまうことになるのだから、当然、応援できない。
自分を肯定するためには、周りの人も低所得のまま、未自立のまま、それって幸せだよね、と同調してもらわなくては困る。
そんな人が宮城には多いなと思う。
誰か個人が悪いのではない。
地域の特色がきっとあるんだろう。
なぜだか、理由を考えた。
まず、雪国は、一人で生きようものなら、命に関わる。
雪かきや除雪は、みんなで力を合わせなければならないし、
高齢者のいる家庭だったら、それを若者が助けなければならない。
だから、地域が、良いコミュニティが大事。
一方で、都心部は、誰かと協力しなくても、食料が手に入るし、暖もとれる。
気の合わない誰かと仲良くしなくても、命が危険に晒されることなどないのだ。
だから、稼ぐことができたら、誰かと一緒の意見に無理に同調しなくても生きていける。
今、都心部はその歪みが子育てに出てきているから、子育ては育ちあいだ。みんなで育てないと生きられないと言って、人々が血縁を超えて、力を合わせようとし始めている。
田舎では、血縁や地域コミュニティの中でそれらが自然と行われている。助け合っている。
だから、自立というキーワードに必然性も必要性もない。
コミュニティを大切にしていれば、自分の大切にしているものを売ることはできるし、
むしろ、そこから排除されることの方が危険なのだ。
そうは言っても、経済的な理由だけで、本当は一緒にいたくもない夫と生活し続けて、それを無視し続けてしあわせになることはないだろうと思う。
そこから平和が生み出されることもないだろうと思う。
ではどうしたらいいのか。
MBIアドバンスコースに来てみてください。
コメント