妹尾通信

【悲観論は楽観よりも「賢く、もっともらしく」聞こえる】

何らかの理由で人は世界が破滅の道に向かっていると聞くのが好きなようだ。ディアドラマクロスキー

悲観論は楽観よりも「賢く、もっともらしく」聞こえるが、それが事実かどうかとは関係がない。

人は悲観論を優先的に真実と思い込んでしまうというトリックに気づくことで、事実と思い込みの鑑別に役立つかもしれない。

 

ちなみに楽観主義とは
「全てがうまくいく」とたかを括ることではない。
それは傲慢である。

真の楽観主義は、「たとえ途中で挫折することがあったとしても、長期的に見れば良い結果が得られる確率が高いと信じること」だ。

 

悲観主義に関して考える時、興味深い事実に気づく。それは、そも対極にあるとんでもなく楽観的な予測が、破滅の予言ほど真剣に受け止められるケースは滅多にないことだ。

 

たとえば、1940年代、第二次世界大戦の敗北の時に

国民よ元気を出せ。日本経済は終戦前の約15倍の規模に成長するだろう。敵国だった米国は最も身近な同盟国となり、日本の経済的な成功からヒントを得ようとするだろう、と学者が言ったら、すぐに世間の笑い者になるだろう。

 

このようにして、私たちは悲観主義に引っ張られやすい生き物であることがわかる。

 

 

歴史を振り返っても

経済も時代も

予測のできないことに満ちている

 

3.11がその良い例で、誰も予測できなかったから原発事故が起きた。

 

しかし、それに近い悲惨な災害や戦争や事故は何度も繰り返されているとしても

 

長い歴史の中で、人類の暮らしは明らかによくなっているし、平和になっている。

 

それが「事実」である。

 

SNSには「事実」もあれば「意見」もある。

 

事実の中にはフェイクもあれば本物もある。

 

科学や統計を一度でも学んだことがあれば「真実」というのを定義づけることがいかに難しいことなのかわかると思う。

 

そもそも予測不可能なこの世界を

 

私たちはどう生きるか

 

自由意志に委ねられている。

 

私の行うセッションやコーチングの大半は、楽観主義の思考にスライドしているに過ぎないと思う。

 

そして、それが現実を変えてしまう。

 

 

 

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