発達障害による二次障害とは
発達障害は、生まれつきの脳機能の偏りと環境とのミスマッチによって困りごとが起きる障害です。 発達障害のある人は、特性からストレスや周りとの不適応を引き起こしやすい傾向があるといわれています。それが高じると精神疾患の合併や社会適応を困難にする行動の問題に至ってしまうことがあります。 また、うつなどの発症をきっかけに医療機関を受診したところ、その背景に発達障害があることが分かったケースや、大人になって発達障害を疑い受診したところ、精神疾患を合併して診断されるケースも多いといわれています。 このような状態を発達障害の「二次障害」あるいは「二次的な問題」などと呼びます。二次障害は医学的な診断用語ではなく、また二次障害の状態像も人により異なります。
引用:https://snabi.jp/article/229#33v8p
発達障害の人は鬱などを発症しやすいなどと言われ、極端に二次障害を恐れる親が増えています。
この二次障害を恐れ過ぎるがゆえに、
「トラウマを作らないように」と過剰に不安が働き、
「無理をさせない」ことを過剰にしすぎてしまう。
例えば、
発達障害などないのに、(検査しても見られないのに)学校に行かせない。など…
のお母さん方が潜在的に増えています。
これを仮に「二次障害恐れすぎ障害」と名付けましょう。
この「二次障害恐れすぎ障害」=『トラウマを恐れ過ぎる障害』を持っている人に多いのが高学歴な人。
自分が高学歴に至るまでのあいだ、
親に「教養」を「強要」された経験があり、その痛みをひきづっている人。
そう言う人は、
他者である自分の子供に
「教養を強要させる心の傷」を極端に恐れます。
だから、
自由にしてあげたい
無理をさせたくない
できるだけ自然に伸び伸びと育ててあげたいと
願います。
自由にしてあげたい
無理をさせたくない
できるだけ自然に伸び伸びと育ててあげたい
ここだけを見ると素敵だし、
自由に伸び伸びして子供が笑顔であることは
すごく素敵だと思います。
これが「どうありたいか!」
という視点で前向きな選択なら
子供の良い部分や可能性に視点が向くので
子供が良い部分が伸びていって
よく物事が働くはずですが、
・・・
「これを避けたい!」という視点で後ろ向きな選択をすると
子供の否定的な部分に不安が溢れて
こうなっちゃう!!
↓↓↓
いじめなんて体験させてはならない
いじめっこにもしたくない
無理をさせせたり
強制などしては絶対にダメ
失敗させたくない
とにかく
トラウマを作りたくない!
そう強く願う親は
トラウマを作らない偏った行動に走ります
自分はたくさんの苦しみや苦難を超えて、喜びを体験しているのにも関わらず!
です。
〇〇でありたい!じゃなく〇〇を避けたい!から始めると
不安と恐れに偏る!!!
もし、これに自分が当てはまると思うなら、
立派な社会人を見て冷静に考えてほしい。
その人たちは、苦悩をしないことで、その成功を得たのか、
それとも何か苦悩することを良いエネルギーに転換したのか
私はスポ根も根性論も傾倒したりしません。
しかし、
子供が苦しむチャンスを奪っているお母さんがいると言う事実に気づいて欲しい!と、思うのです。
それも、
習い事、
とか
「親の敷いたもの」で
自分が満足するような形で乗り越えてくれる子供がいたら、それはそれでいいけれど、多くはそうでない。
「親の予測もしないことで、子供が苦しむことがある」
だけど、それに愛を持って寄り添い、私はここにいて、どんなあなたも愛していると言ってあげられるだけで、親は十分に親の役割を果たしているように思うのですね。
かと言って、発達障害の子供を「躍起になって普通にさせよう」として追い込む親も子供を苦しめます。
本来。「あなたが生きているだけで二重丸」なわけです。
そう心から思えないのは、自分の中に溢れる「裁判」=ジャッジメントです。
二次障害を恐れ過ぎる障害(トラウマ作りたくない症候群お母さん)
も
社会に適応させよう、普通にしよう、稼げるようにしよう!(コントロールお母さん)
どちらも毒親だと思います。
うーむ。酷い言葉ですね。毒親って。
でも、それほどまでに、母親は「自分がこのこの人生を何とかしなきゃ」って背負ってる。自分が良い親じゃないと思ってしまうことをどこまでも責めてしまう。だから、「毒親」なんて言葉で、自分を責めてしまう。
毒親なんてないし、良い親なんてないんだけれどもね。
だけど、あえていいます。
そんな毒親に心当たりのあるみなさんに大切なことを伝えたい!!
この全てが私たちを非二元的な意識へ移行させる出来事だから
何かを避けようと生きるより
叶えたい未来に向かうことの方が
良い結果を生むから?
(実はこれは毒親だけでなく、今、いい子供に育ってくれている場合も当てはまるんですが、それは最後に説明します。)
二次障害を恐れ過ぎる障害(トラウマ作りたくない症候群お母さん)
でも、
社会に適応させよう、普通にしよう、稼げるようにしよう!(コントロールお母さん)
でもない選択って何だろうって
ずっと考えてきて思うのは
多分ね
仏教にあるんです。
non duality(非二元性)
どちらにも偏らないこと。
後ろじゃなくて
前を見ること
それが日常になっていくと…。
こうなってくる。
↓
いまここ。瞬間を生きる。
全てを観照すること。
すると
↓
マインドではなく
ハートで生きれる
例えば、
今、教育ママに素直についてきてくれる子供がいて、
将来的に凄まじい反抗期になったとする。
それもnon duality(非二元性)のため。
全部いいことのため。
例えば、
二次障害恐れすぎ症候群で、子供が将来的に社会的不適応になる。
それもnon duality(非二元性)のため。
全部いいことのため。
例えば、
発達障害の子供を普通にしようとしすぎて、子供が二次障害が起きる。
それもnon duality(非二元性)のため。
全部いいことのため。
何もかも苦しみというのはnon duality(非二元性)のために神の愛として目の前に顕れるんですけどね。
だから、何が起きても、悟りのために起きてるし、別に何をしたっていいんだけれどもね。
最初から偏らないでnon duality(非二元性)の中に
苦しみって概念が存在しない。
non duality(非二元性)には
分別そのものがないから
ゼロ=無限大
無限の愛があり、無限のpowerが溢れます。
良いことはどんどん螺旋状に良いことにつながってく。
あ、別に私もいいお母さんじゃないし、教育の専門知識ゼロだけどね!
通った道なので、誰かのお役に立てればと思いましてシェアします。
今日はこんなところで!
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