男女の統合

宮澤賢治もフロイトもみんな知ってたワンネスの仕組み

自我が溶け出すとき
真我(ほんとうのわたし)と出逢う

我々がもっとも恐れるもの、それは我々の光であって、闇ではない ーネルソンマンデラ

なぜならば、光とはエゴの完全なる死

わたしが消えるときだからだ

 

 

クライアントさんが調べてくれた宮澤賢治の言葉

 

 

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農民芸術概論綱要 
宮沢賢治 

序論 

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか…… 

おれたちはみな農民である 

ずゐぶん忙がしく仕事もつらい 

もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい 

われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった 

近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい 

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する 

この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか 

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある 

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである 

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 

求道すでに道である

 

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瞑想して最初に気付くことは

細胞のすべてに

すべての感覚の記憶があり

それらが現実を創造していると知ります

 

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そして、その細胞の記憶を頼りに

自分の今世への全てに向き合い昇華し終え、

小乗の悟りを体験した後に

集合意識をも、わたしの中にあると分かります

宇宙のすべてが内側にあるとはそういうことです

 

ワクワクしていると願いが叶うのは

宇宙全体の願いと個人の願いが一致するからです

 

 

 

小乗の悟りを終えた人は

もれなく

集合意識の浄化をする使命をこなしていくことになります

 

私の願い=みんなの願いとなるからです

 

 

これが宇宙の真理ですから

個の幸福を追い求めているうちは永遠にその真理に辿り着くことがなく

なにか苦しい感覚が終わらないでしょう

 

 

自然と「私」という感覚から

「私たち」という感覚で生きていくことになっていき

それが幸せをさらに増幅してくれます

 

個の幸せをさらに共有して

しあわせと愛の波紋が凄い勢いで広がってゆくからです

 

 

 

自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する

 

>>自我(わたし)という個の枠を超えて、

真我(わたしをなくした意識)完全なる自由へと進化するのです

 

 

完全なる自由とは一切の囚われのない意識のことです

 

 

 

ブッタの言葉をもう一度引用しますね

目覚めた者は、人間が語る見解、意見、知識や決まりごとにとらわれない。

彼は、善し悪しを判断しない。判断によって心を汚さない。心を汚す原因も作らない。

ブッタは正しい道(方法)のみを説く。

かくして「わたしが」という自意識から自由でいる。

 

 

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある 

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである 

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 

求道すでに道である

 

わたしを終えた人=自我意識を超えた人=目覚めた人

これがアセンションを決めた人です

 

そのような人々は

自分個人の幸せを願うことはもはやありません

「わたし」を超えているからです

 

わたしを超えた人間は管となります

わたしはなく「道(タオ)」だけがあり

それに完全に身を委ね

神に自分をわたしを完全に明け渡しています

 

それはとても歓びに満ちていますが

決して派手なものではなく

とても静かな静かな歓びです

平和と安らぎという言葉が適切かと想います

 

 

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである 

 

それが世界のまことの幸福への道

求道すでに道であるということ…

 

ツインレイ神話にとらわれた多くの皆様が自我を溶け出すために体験したわけです

わたしを終えるために

わたしを終えなければ苦しみが続きます

情欲を超えるために

所有を超えるために

 

男女の恋愛はそのためにある

 

真実の愛とは

所有を超えている

情欲を超えている

 

完全なる光です

 

同じくこれも派手なものではなく

とても静かな心境です

 

インドでいわれる

究極の愛

最終形の愛

vaktiの愛とは

決して容易ではありません

(vaktiを献身と訳されることがありますが、いわゆるボランティア精神とは違います。一切の「わたし」を終えた意識のことです。それは、エゴの完全なる死です。だから、一生の命だけでは辿り着くことのできない最終境地であるわけです。肉体をもってアセンションするというのは、そういうことなのです。)

 

 

 

すべては生まれ消え去る

無常であるという永遠の真理に辿り着いたとき

それほど儚いものがこの現実だと体感したとき

人は深い愛に包まれます

 

それほどまでに

命は奇跡の連続だったのだと

深い

深い

祝福の中にあったのだと

気付き

 

 

私たちは

ひとつ、ワンネス

ひとつの生命体であると心底理解し

 

とても静かな愛の境地へと辿り着くのです

 

その歓びは平和と安らぎの光に満ちています

 

 

瞑想で強烈に分かること

それは

痛みや苦しみというのは

自我によって起きているということ

わたしが、わたしが、

という渇望、執着によって

起きているのだということ

 

逆に

真の幸福とは

私が私が!という自我の意識を手放し

わたしをなくしたときに

言葉には言い尽くせない

安心と安らぎの境地があるということを

深く悟っていくのです

 

これがアセンションであり

 

エゴの願い事がなんでも叶う世界のことではありません

 

願いの質が変わっていきます

 

エゴではない願いが湧き上がっていくようになります

 

その願いは

ほんとうに

 

すべての生きとし生けるものへの安らぎを祈る幸福です

 

わたしは全体であると悟っているからです

 

アセンションにより

貨幣制度がなくなるのは

 

人類が「わたし」を超え

 

「わたし」を終えたとき

 

人類がそういった意識になることによって

 

成立するのです

 

他者への愛が溢れてやまないから

需要と供給の仕組みの中で

貨幣すらいらなくなるのです

 

SDGsという国際的な警告は

この人類の意識の上昇によってのみ解決し

その意識の上昇がなければ地球は破滅しますよと言っているのです

 

 

 

 

 

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