男女の統合

【魚を取りすぎることに心を痛める漁師マーシーからの贈り物】

見たこともない魚が届いた!

YouTubeとgoogle先生を頼りに、まずは、鱗取りをホームセンターに買いに行った!

なんとか鱗は取れた!

そして三枚おろしは、ぎっざぎざ!

骨取りも文明の力を使ってできた!

ムニエルめっちゃうま!

でもね、この魚さん、「価値がない」って捨てられちゃうこともあるらしいの。

市場では、

価値のある魚さんと

価値のない魚さんがある

命はみんな同じだけ尊いのに。

人間って勝手やな〜ほんまに!

マーシーは

全ての魚さんを大切に食べてもらいたいんだって!

だから、七福神セットっていう魚を届けてくれるんです!

まあ、新鮮で美味しいんだ。

こんな話聞くと、

クッソー市場の奴ら!自分の私腹に欲をこきやがって!

みたいに思う人もあるかもしれない。

でもね、

自分で捌いて分かったけど、

やっぱりね、便利さって文明って

今までとても人を助けてくれたよね!

だって捌いてくれてたら楽だし、

時短になるし。

それらの恩恵ってきっと大きかったんだ。

だから、「無意味」と思われがちな

「価値がない」と思われがちな時間を

「意味があると」思われがちな

その時間に費やせたんだ。

だから、そこに悪と善が存在しているわけじゃないんだ。

私たちには、快と不快がある。

それによって

渇望したり

嫌悪する。

そのどちらも苦しみを生む。

喜びへの過度な渇望も

苦しみへの嫌悪も。

だから、

それらに反応しないようにヨガや仏教ではレッスンをする。

それは、

ワクワクしよう!ということや(do)

ネガティブさを見ようとしないことではなく(do)

喜びへの過度な渇望も

苦しみへの嫌悪もやめたところに(be)

完全な至福がある(be)

サマーディという至福(be)

それはサハスラーナチャクラが開いた感覚であり

完全にわたしが溶けた感覚であり

世界と一つになる感覚

そこには

他者や世界への慈悲しかない

ハートが開いている人は

他者に Bhakti(献身・奉仕)したくなる✨

だから、それは自然と社会への行動となる

時々、私のところへやって来るスピリチュアル迷子さんは

ワクワクすることを

ネガティブさを避けることと勘違いすることが多い

だけど、そうではないよ!と聖典は教えてくれる。

中庸やゼロって、

反応しないこと。

この世界は色々なことがあるけれど

嫌悪も渇望もやめてごらんと何千も前の聖典が教えてくれてる

世界は全て愛から生まれて

愛から生まれているよ

と教えてくれる。

あなたが嫌いなこと

避けたいことでさえ

それは、「どうなりたいか」という思いを呼び起こしてくれる種でもある

苦しみは希望への種

ただ在る

being

それは素晴らしいけれども、

何も行動しないことや

無関心のことではない

神様と繋がったら

はっきりわかることが一つある。

神様がどんな世界を望んでいらっしゃるか

人々に何を伝えたいか

それはどんな世界なのか

はっきりわかる。

わかるから、行動せずにはいられないんだ

 

世界を諦めないことは

自分を諦めないこと

 

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