あなたの命は
たとえ明日死ぬとしても
今日生まれたとしても
生は平等だ
あなたが末期がんを宣告されたとしても
今ニートで死にたいと想っていても
どちらも
同じ命だ
ただ、
末期がんのあなたは命の限りを鮮烈に感じて
命に感謝しているだろう
ニートの自殺願望の人は
命を憎んでいるだろう
どちらも
同じ
命だ
状況が違うだけ
末期がんを宣告されたからといって
あなたの存在が特別になったわけじゃない
あなたが特別に可哀想なわけでもない
同じだ
命を鮮烈に感じることが出来る人っていうのは
状況じゃないんだ
失うことをどれだけ体験したかってことなんだ
あたりまえに
「在る」ってこと
その「在る」ってことが
失われるんだって
ことを
鮮烈に体験し
それにどれだけ涙して
分離の痛みを体験したかってことなんだ
命は鮮烈だ
それほどまでにはかない
いま
ここにしかない
ほんとうにない
この肉体を以て
感じられることが
それだけなんだ
それがないときは
もうない
次の瞬間にはない
地球っていうのは
そういう制限をもたらされたがために
命や愛がどれほど尊いか
深く観じられる美しい星なんだ
あなたの
その眼をつかって
あと何回
目の前にいる
その人を
肉体を以て見ることが出来るかってことを?
家族・夫・妻・子供・母親・父親・祖父・祖母・親戚
仲間・会社・部活・チーム・お店の人
恋人
いつが最後になるかなんて
誰にもわからない
私たちは
そういう
奇跡のような時間に生きている
命という限りがあるからこそ奇跡は貴い
SNSでのコミュンケーションと
肉体と肉体が同じ場所に存在していることは
全く違う現象であるのに
私たちはそれを
同じことのように
認識している
この空は二度とない空
明日には見れない
いつも最期なんだ
誰かを眼で見ているということの
なんたる奇跡
例えば、
あなたの大切なお子さんを朝送り出す瞬間も、
二度と会えない最期の瞬間も
本当は等しい
すべてが「おわり」の瞬間
すべてが「はじまり」の瞬間
目覚めていないうちはその歓喜に気付けないでいる
生命は
常に
未知で
何も保証されていない
命を生きているということ
だから
この肉体を以て
見ているということがどれほど尊いことであるか
ということ
それは残酷なほどに
おわりとはじまりなのだ
命はそれほどまでに
鮮烈で美しい!!!
癌に闘病しているなら
癌を治すために生きないで欲しい
この命をどう生きるか考えて欲しい
あなたはニートの自殺願望者と同じ命を生きてる
変わらない命
命は変わらない
ただ
どう生きるかは
選べる
それだけ
いつも
私たちは自由意志がある
なにをしたって
いい
アイドルになってもいい
今まで積み上げてきたもの
全部ぶちこわしたっていい
渋谷で裸で踊って逮捕されたっていい
愛してもいい
愛されてもいい
愛さなくてもいい
何したっていい
あなたが
本当にしたいことを
命をかけてやる
歓喜の中で・・・
人は愛したい生きものだ
人は愛されたい生きものだ
本気で
命をかけて
愛せたら
人は
愛することがほんとうに出来たなら
無為を知る
そのとき
人は悟るんだ
この世界の儚さと
そこにある永遠に
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