あまりに深い記憶でうまく書けるか自信がないけど、
綴ろうと思う。
これを私の妄想だと思う人もいるだろうから、その人はここでこのブログを閉じてほしい。
あなたの疑いのエネルギーもまた、世界を創造している。
大切なことを書こうと思うから、疑いがあるならここで閉じてほしい。
書けるかわからないけれど、伝われば嬉しいです。
何ヶ月も前から予約していたリベラのコンサートで最も魂を揺さぶられたのが「永遠の絆」という曲だった。
この歌の歌詞の意味はわからなかったけれど、悠久の時を超えた記憶を思い返せるような、胸の奥の奥の方が、痛むようなそんな感覚があった。
映画「火の鳥 望郷編 エデンの花」は、火の鳥の中でもアニメ化されていないもので、アニメにするのが非常に難しい(えぐい場面がありすぎる)ものだったそう。
時を超えて、今、この時に、この映画がアニメ化されることにも非常にメッセージ性の感じる映画だった。
「地球はもうない」という予告編のセリフ。
そうだったらどんな世界が手塚治虫の中に観えていたのだろうか。ということを見さられる映画だったし、彼はもしかして、想像力の中で、時空を旅して、どこかの未来のパラレルを観たのかも知れない。
この映画を見る数ヶ月前に、私はある前世の記憶を思い出していた。
(※私は前世の記憶を信じてもいないし、信じていなくもない、どちらでもない。証拠はない。ただそこから何かの意味を見出せる時にだけ、必要な時にこの記憶を持ち出す。全ての記憶は誰に話すわけでもなく、胸の中にある。必要な時だけ取り出しています。事実かどうかなどどうでもよくて、ここからどんな光を見出せるか、それだけだ。)
それは今まで観た前世のパターンにはないもので、
地球の記憶ではなく、地球に来た時の(今まで観た前世の中でも最も古い記憶)ものだった。
私はどこか別の星から、地球にやってきていた。
私ともう一人の男の子を置いて、自分の星の母船はどこかへ去ってしまう。
(そこにエデンの園のような楽園を作る計画であったのだろうか?)
(もしかして、愛と平和の世界を築くことができる自分達の遺伝子を遺そうとしたのかも知れない。)
だけど、それが叶わなくて、
地球は、「欲望を持つ生命体」に勝ち取られる結果となる。
この時も、やはり「悪」が強く、「力」が強く、
愛や赦しは非力な結果を迎える。
別の場面では、
原始人のような動物的な人間に、「知恵のDNA」と「欲望のDNA」を刻まれてしまう時の記憶。
それは、「人」を「労働力」として大量生産させるために、
本来は神と繋がる神聖な行為であった「性」を、真実の相手以外とも誰とでもsexをしたくなるような肉欲、愛欲のDNAに「聖なる性」を「肉欲と欲望の性」へ返還させたこと。
平和な星では、真実の相手は一人しかいないから、相手を間違うこともない。
浮気することもなければ、男女が奪い合い、失恋することもない。
愛欲ではない無条件の愛に溢れているので、愛することに痛みがない。
これは私だけの記憶ではなく、アナスタシアやアミ小さな宇宙人にも書いてあるから探して欲しい。また、聖なる性について書かれている「千賀一生 性の秘儀」の文中にも、中国の秘境に住む「聖なる性」を守り続けている村でも同様のことが書いてあるから、それも参考にして欲しい。
これらの前世の記憶は「火の鳥 エデンの花」を観る前から思い出していた最近の記憶だったのだけど、映画を観た時に、そのビジョンと手塚治虫の映画が被りすぎて、魂の奥まで刺さりすぎて、呼吸困難になりそうだった。
つまり、
「火の鳥 エデンの花」を観たことで思い出したのは、この世界にある神社の歴史とか、寺の歴史とか、そんな書物になるよりももっと前の記憶。
地球があらゆる生命体の手によって、あらゆる物語によって、関わり合いによって、たくさんの宇宙人が混在して、存在しているということの記憶。
闇と光の宇宙戦争が、私たちのDNAの中にも刻まれていて、
結局、地球がアセンションするのは、
心や体の欲望を超えたところにしかない。という変わらない絶対的な真実。
こんな記憶を思い出したとて、
みんなに伝えることは毎回、同じ。
私たちの内側を一人一人が愛に変換することで地球が救われるという揺るぎない真実。
だから、私は「DNAを癒すワーク」を行うことで、現世で体験した全てを許し、闇と光を統合し、愛へと着地するお手伝いをしているのだと思う。
最後に、文中に触れた「真実の相手」という言葉に魂が何かを感じる人のために書いておくと。
(正直、スピリチュアル迷子が増えるので書きたくはないのだけれども。そんな相手を外側に探すことより、自分の内側の中にある永遠の光、神、愛、の中に佇むこと以上に平和と安寧はないのだけれども。)
なぜ、地球上では、真実の相手と共に在ることが難しいのかというのは、
真実の相手との愛は
本当に「無条件の愛」であるということが大事だから。
肉体を超えることは
肉体が離れている時にしか超えることができない。
心を超えることは
マインドが動いているうちにはできない。
だから、結局
「真実の相手」という誰か、
ではなく、
「自分自神」の旅でしかないのだと思う。
そして、「宇宙の法において、真実の相手以外とのsexは禁じられている」アミ小さな宇宙人より
これを全人類が護ることができたのなら、あらゆる問題が一気に片付くだろう
その理由はこの文章を何度か読み返せば、謎が解けると思う。
(※これも宇宙の法だから、今、この三次元の地球の中でそれを重んじるのは肉体現実の我々には厳しすぎる精算が起きてしまうから、この話も人によっては苦しみを産む。だから、スルーして欲しい。現実を大切に生きてください。これはあくまで物語の一つです。)
そして、さらに、sexという子孫繁栄すらも超えるところ、到達点もある。
(男女を超え、最後はたった一人神と一つになる)
(そのパラレルやそこまで向かう魂もある。神々の領域すらも超えたところ。形や音を超えたところ。)
じゃあ、何が真実なの?と三次元の地球人は思う。
私たちの中に多次元の宇宙のパラレルが同時存在している。
未来も過去も現在の中にある。そして、次元もたくさんある。
そして、私たちは、あなたと私という分離した存在であり、
分離していない一つの生命体である。
永遠の絆が全員の中にあって、それらを共有している(濃淡はそれぞれに個々の個性があるけれど)
手塚治虫が観ていた過去のパラレルは、
確実に私が観た過去世とリンクするものだったし、
こんなにも時代を超えて、何かを共有していることに
やはり真実は変わらないのだと痛感する映画だった。
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