男女の統合

ジャンヌダルク

自分の内側にはジャンヌの記憶があったけれども、

映画を観ることは怖くて避けてた。

自分の魂にあまりに響きすぎて立ち直れなくなりそうだったから。

でもいよいよ向き合うべきなのだと思って映画を見てみた。

映画の内容が本当かどうかは別として
とにかく自分が見ていた前世の光景、感情とリンクしまくっていた。

(途中で神様が出てくるセリフがあるけれど、あれはジャンヌを理解していないと思ったね。ジャンヌには明確に神の声と愛が聞こえていた。苦しみはあっただろうけれど、あの描写は男性が書いていそうだと思ったよ。)




巫女として神から降ろした言葉を

社会を創造する男たちが信じないことに

どれほど苦しんだか、わからない。

 

同じことが今起きてる。

 

私の中にあるたくさんの神のお告げを渡す人がいない。

渡そうとしても逃げる。

もしくは理解ができないことは妄想だとして片付けられてしまう。

 

神も宇宙も急いでいるというのに。

 

たくさんのことを伝えなければならないのに、伝えることができない。

女性が神を通すような体験が男性にはないので、言葉が伝わらない。

子宮を通して、子供を産むことを通して

女は神と繋がることができる。

子宮がない男たちは

神を信じることができない。

導きがどれほど尊く賢いか

愛がどれほど尊く賢いか

理解ができない。


(形式的な神社、仏閣にはお金をいくらでも出すというのに、本当の巫女の話は聞かない。)

社会という、ルールという、組織という、お金というものに囚われて

真実を観ることができない。

だから女性がどれだけ愛と説こうとも男は受け入れないから離婚される。(またはセックスで引き止めている場合は執着させ、女を眠らせている。)

 

ジャンヌの時の記憶。

私のそばにはいつも守ってくれる人がいた。

何度も何度も、男性のおぞましさをみながら、
何度も、何度も、男性の愛をみた。

 

こう書いている手すら血だらけだったことを思い出す。

生まれた時も、同じだった。体中が。

 

田舎だった娘が、まだ王ではない彼に会いに行った時、

彼と私は全身に感じる何かがあった。

ずっと会いたかった人であり、ようやく出会えた人。

それなのに、彼は私を信じようとしなかった。

もっというと、神と奇跡を信じようとしなかった。

儀式的な信仰はしていたけれども

本心では信仰を冒涜していた。疑っていたのだ。

 

彼が王冠を得たときは、やっとここまで来れたと一番に安堵した。

 

初めて、自分をみんなが信頼してくれたからだ。

 

それまでは、本当かどうかわからない神のお告げを人に伝えること、

それにみんなに批判され、

思い込みだと笑われることに、どれほどの苦痛があったかわからない。

 

 

王は王冠を手にしたあと、

ジャンヌを裏切った。

 

自分の地位を優先したのだ。

 

それによってジャンヌは兵士たちの信頼をまた失うこととなる。

 

この時の絶望が一番辛かった。

 

ここまであなたのために頑張ったのに。

裏切りという形で王は返してきたのだ。

しかも、王には美味しいご飯があって、暖かい暮らしがあり、パートナーもいて、幸せで満ち足りていた。満足しているから、民の平和、国の平和などに興味がなかった。

苦しんでいる人の救いに目を向けなかった。

その裏には、民の貧しい暮らしがあったというのに。

何よりそれに絶望した。

 

ジャンヌの姉が殺され、レイプされたことへの怒り。

それがジャンヌの残酷な死を創造した。

 

ほとんどが自分の賛美のために生きる

 

目の前が満たされたらOK

 

そんな強欲な在り方に神は怒ってる

 

神なら怒らない?それはNOと言える

 

怒りも神の一部だ

 

王の裏切りは特にムカついた。

地球に蔓延る苦しみ、苦悩に目を向けず、使命から逃げたからだ。

 

王が本当に愛に生きて、民を救うために生きたのなら、どれほどの人が救われたかと思う。

 

それと同じことが起きてる。

今、それと同じことが起きている。

 

たくさんの人が苦しみの中に堕ちていく。

 

そしてジャンヌは悪魔にされた。

 

本当は救おうとしてくれたたくさんの愛が集まったというのに、それすらも王は裏切りに変えた。


王は晩年、ジャンヌダルクの呪いを恐れて、たくさんの十字架をそこら中に飾って、城に閉じこもって生活をしていたそうだ。どれほど苦しい晩年だったか分からない。

 

キリスト教を名乗る牧師も全て神のことなど何も分かっていなかった。

今も同じ。お坊さんは色即是空を理解していない。

だから、彼らは私を理解しない。

 

その記憶があるから、私は言えない。

 

この世界に伝えなければならないことをこの場所ですら言えない。

 

この世界にもたらせる奇跡を

 

疑いが消し去る

 

 

とりわけ

男性の中にある疑い

 

この疑いは

女から生まれた

強い憧れから生まれる

 

母親という存在がなければ誰もが生きられない

母親という存在がなければ誰もが生きられない

 

だから恐れる

 

真実は人に恐れを与える

 

ジャンヌは真実を生きた

 

500年経ってやっと聖人の列に並んだ

 

Bhaktihとは理解されることではない

 

たった一人

 

進む道だ

 

とかく、東北の社会は男性の脳が創造している。

キッチンでさえも、男性が考えている。

もう少し東北の会社は、女性の意見を取り入れた方がいい。

特に出産と育児真っ盛りの女性の意見が平和な社会を創造するのに役立つだろう。

 

 

 

 

 

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