意味を持つ言葉、言語、それらは全てマインドであり、真実はマインドのないところにあります。 いまここに意識がないとき、それは妄想です。 そのことを最初に書き留めておきます。
どうしても逢いたい
2年前くらいから突然「空海に会いたい」という想いが湧いてきました。「わけもわからずに」です。ただただ、魂が空海に逢いたい。彼に会ったら真実に出会えるという感覚がしていました。
それから運秀さんに出会い、空海の生まれ変わりのような人がいないか、空海について詳しい人はいないか聞いたりしましたが、ピンと来る情報はないまま。経典は難解だし、そこ(文字)に答えもないような感覚もありました。
ただ、なんとなく、この方も「無限の愛」について理解のある方であろうという感覚だけがありました。
なぜなら、空海が旅をした場所の一つである「竈門神社」ではじめて空海らしき存在を感じた時に私は「無限の愛」「Bhaktiの愛」について探求していました。それは大変な修行でした。途轍もない魂の修行でした。
そんな私が竈門神社に登山している最中に空海から「アユミヲトメルコトナカレ」=歩みを止めるな、という言葉を感じたのでした。
理趣経というお経の意味…なんとなく、無限の愛について理解し、体験し超えた方であろうと感じていたのでした。
お大師様宛ての葉書
それから、2年くらい経っていました。息子のバックの中に「お大師様に手紙を送ろう」というはがきが入っていました。この葉書にお大師様に相談したいことを書いて、送ってくださいというものでした。宛先は、高野山奥の院とありました。
息子にプレゼントされたものでしたが、もちろん、息子は全く興味がなく、捨てる勢いだったので、私が頂戴して、手紙を書きました。
そのお返事をどうかくださいと願いを込めて…
その内容とお返事は最後に書きます
一乗院
そのあとでしょうか、高野山へ行くなら今しかないと感じまして、旅行を計画することにしました。子供たちも運秀さんもいない一人の時間ができたのです。
全く計画をする気が起こらず、宿も調べず、一週間をきった日にやれやれと宿を予約したのが一乗院でした。面倒臭くて、運秀さんのご友人に伺い、裏も表もクリーンな宿坊はどこかと伺って、一乗院をご紹介いただきました。
実は、値段も見ないで、申し込みました。普段だったら、値段を見て、やめていたと思います(笑)
後に、これも導きであったと確信することになります。
丹生都比売神社
一番最初に行きたかったのは、空海のパートナーのお墓でした。このお話は信頼できないスピリチュアルグループの信頼できない人から聞いていたので、それは違うって感覚でした…。笑
阿吽という空海と最澄のことを描いた漫画は、それはそれは歴史を調べて調べて描かれた漫画でして、そこに丹生都比売神社のことが描かれていました。
阿吽という漫画は、素晴らしく歴史を学んでいました。その中に丹生都比売がお姫様として登場しますが、私が見たビジョンと近い感覚であり、しかし私が見たビジョンとは異なった解釈をしてました。
行ってみるとやはりそこは女性性の宿るの神社でした✨
関西在住のフォトグラファーmicaちゃんに丹生都比売神社に連れて行ってもらいましたが、micaちゃんもすっごい女性的な神社だね✨と…。
自然と調和していた大和の人々の跡
ここからは私の個人的な感覚になります。
ほとんどのスピリチュアルブロガーの人が、その個人的な感覚をあたかも事実のように、そうであったという感じに過去について書いていて、それを根拠もなく盲信するのが、最近の傾向ですが、私はそういったものが大嫌いです。陰謀論となんら変わらないからです。真実を見ようとしない人間は、安易な情報に惑わされがちです。私はそう言ったスピリチュアル迷子を生み出さないようにとセッションを来たので、これは個人的な感覚であったと、一言付け加えさせていただきますね。
ここで感じたのは、自然と調和していた先住民のような人々が迫害され、追放され、大変な苦労をなさったというような感じがしました。
人々の祈りによって
人の痛みの記憶も
美しい自然と一体に溶かされていました
関西在住のフォトグラファーmicaちゃんから、ある記事を教えていただきましたが、それを紹介すると、すぐにスピリチュアル好きの方の妄想が激しくなり、中庸の意識から逸れそうなので、笑、概略を書きますね!
↓
天皇の家系で、親族間での争い?(どっちが上とか下とか)で、迫害された人たちが、隠れるようにそこに住んでいたというような記事です。
バシャール曰く、地球に住む原住民に人間としてのDNAを入れたのはどっかの宇宙人だったとか。
まあ、それが本当だとして、天皇は神様(宇宙人)から智慧を授かった人みたいなものなのでしょうか??
でまあ、そんな尊い人たちが、自然と調和した暮らしをしていたのでしょうね。
ところが、権力争い・どっちが損か得かみたいなことで、この家系は「おに」とされた。
一応リンクを貼っておきすか↓
https://www.facebook.com/hitohana.funahashi/posts/10158035139755794
ちなみにこれが真実とは限らないですからね!真実なんて誰もわからないですからww
空海の生涯には空白の時間があるというのは有名な話ですが、山の中に隠れている民族と関わっていたのではないかという説があります。
だから、水脈を知っていて、水が湧き出る場所を言い当てることができた。霊能力者ではなく、彼は知性の高い科学者であったのではないかと私は考察しています。
その「山の中に隠れていた民族」が丹生都比売神社に祀られているのではないかと。
もし、空海が、その民族の真実を知っていく中で、美しい女性を愛することがあったとしたら、ものすごく普通のことですよね。誰も愛した女性がいなかったと考える方がちょっと不自然かなと。
まあ、もちろん妄想ですけどね。
で、空海は今の仏教に疑問を感じた。もちろん、政治にも。
命がけで海を渡るって半端ない想いがあったわけじゃないですか。
途轍もない覚悟ですよね。
僧侶やめて、好きな人と暮らしちゃえばいいのに、そんなことできないような、途轍もない理由があった。
愛し合うことのできない二人が出会っていたんじゃないかなと妄想するんです。
それはなぜかというと、海を渡って、はじめて、空海は「ユリイカ」(わかった)となるわけですから。
理趣経と手に入れて、
欲を持ってはいけないのではなく、大欲であること(密教の原経は中国→インドにありますから、これはyogaの聖典とも通じます)
そうだよね!間違いないよ!と、思ったと思います。ww
天国に行くために修行したり、信仰するのではなくて、今、ここを幸せに生きる、今ここで自分が神だと気づく。
即身成仏って言葉を和訳する人が、訳する人が意味を理解していないと伝えられないんでしょうね〜〜。
1200年経った今では、簡単に情報を手に入れることができるそれを命をかけて学んだ空海。
その背景には、たくさんの理不尽さ、痛みがあったのだろうと感じたのです。
えっと、繰り返しますが。大学やら教授やら、一生涯をかけて、このような歴史を研究し、文字通り命がけで歴史を研究してる方がいるんですよ、それをですよ。旅行して、感じた事でそれが真実だなんて思ったりするなんて、仏教軽視ですし、歴史への冒涜だと思います。それはわかっておりますが、日記として書いています。ただ、知識だけが歴史だけが真実ではないだろうと思うのも、私の中での真実でもあります。真実は人それぞれに存在しているのかもしれません。
宿坊
うっかり予約した宿坊はとっても特別なお部屋でした。目の前には日本庭園が広がり、それはそれは美しい精進料理…。
しかも、そのお部屋は御本尊である弥勒菩薩の後ろにあるお部屋。
私は弥勒菩薩様の後ろで眠らせていただいたのです。
そうか、そのギフトを受け取るために、このお宿のこのお部屋だったのですね!と、空海の導きを感じることができました。
弥勒菩薩は、ブッタが生まれ変わって、もう一度お釈迦様になる時の名前。未来のお釈迦様っていう感じでしょうか。
空海は、56億年後に弥勒菩薩と共に降りてくると遺しています。
でも、言葉通りにそれが起こるってわけじゃないのでは?と、思います。
空海はものすごい知性の持ち主ですからね。
56億年って=>地球の寿命。
つまり地球が滅亡する頃に、新しいブッタと共に救済に来ますよ。ってことなのかな〜と、これも妄想です。盲信しないでね。。自分の羅針盤を信じて生きてください。
話を戻して、一乗院という宿坊についてですが…!
一つ一つ丁寧に祈りを込めたお志事、皆様の心からの奉仕の精神が全てに行き渡っていました。
裏も面もクリーンな宿坊だと伺ってはいましたが、あまりの心の美しさ、誠実さに、ただ、ただ涙が溢れました。
1200年も経って、素晴らしい修行僧が、空海の願いの跡に続いているその世界は、本当に美しかったです。
何をするかではなく、どういう意識でするのか
それがそのものが修行であり、人々の心を清らかにしていくのだと。
ですから、よく、リトリートとかワークショップとかありますけど、外側に探すよりも、、最短は、日々の瞬間の積み重ね。
日々の実践。それがまた周囲の心も浄化していく。
それだけなのだろうと身に染みました。
御住職とご挨拶をするチャンスに恵まれて、「頑張ってください」というお言葉を頂戴しました。御住職の笑顔が本当に美しく、真心とはこのことなのかと感じとることができた本当に素晴らしい体験でした。
阿息観はコロナでありませんでしたが、それ以上のことを感じとり、何より、日々の積み重ねが修行であり、大切なのだと心に刻まれた体験でした。
御堂と呼ばれていた場所
2日目は、空海が唐から帰国して、真っ先に着手したと言われる場所に、導かれるように行きました。
するとそこでは、20名もの僧侶が1000年以上も続くお経が唱えられていました。
まさに、私が今、学んでいるマントラやインド音階と通じる「声明」は、祈りの歌。
文字で刻むのではなく、マインドで伝えるのではなく、音というバイブレーションで智慧を伝える。最も純粋な「真実を伝える技」それがお経。
皆さんの祈りが唱和されると、時を超えて、その時の時空へとタイムスリップするようでした。
空海が生きているということになっていますが、
それは
空海の「いのり」が今もまさに空海がいるかのように生きているのだなと観じました。
たった一人が「悟る」ってこういうことなんだ。と、言葉を失いました。
祈りが高野山ぜんたいに時空を超えて響いている、空海の祈りの薫りがずっと続いている…。
私が「空海」って呼び捨てすると、運秀さんが「お大師様ね」と返してくるのですが。笑
なるほど、そういうことかと、奥の院を訪ねて、体感しました。
私が空海を想像することなんて、できない、足元にも及ばないし、所帯を持った人間がたどり着ける場所じゃないとも観じました。笑
ここまで繊細な祈り、奥深い山の中で整えられた場所で静かに静かに時を重ねてこそ、の境地なのだろうと。
1200年も続く、空海の教え、祈りとは、世界の平和を祈り続けること…
全ての生きとし生けるものが平和であれ、安らかであれ
私が人生の旅路でたどり着いた一つの答えは
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」これは宮澤賢治の言葉ですが、
空海もお釈迦様も同じようなことを仰っています。
この世界の構造、真実を理解したらそうなってしまうのです。
私が空海に宛てた葉書に書いたのは、そのような世界を現実で創造するために、私に何か必要なメッセージをくださいと書いたのでした。
2日目の旅行をご一緒したharukaちゃんからいただいたポストカード✨同じ願いを共にする心の友
葉書の返信
何もメッセージが降りてこないまま帰りの新幹線で、聞こえたのは「ありがとう」という言葉、たった一言でした。
世界の平和を祈る仏様と先人の「ありがとう」は心からの御守りとなりました。
今、スピリチュアル業界では(あえて業界といいましょう)、この世の中が激変して天国のようになるとか噂されていますよね。
1200年前の空海は、まもなく貨幣が崩壊するとも、ボーダーがなくなるとも見えていない未来。バシャールからのチャネリング情報もありません。
この先、1200年も同じように人々は目覚めないままであることを知っていながらも、
命をかけて、人々を目覚めようとさせていたわけです。
そういうような世の中になるから、なんていう期待は全く持てない。
もっと言えば、あと12回生まれ変わって、献身したって、目覚めない人がいるっていう未来がある中で、
命をかけて、高野山をお開きになったわけです。
ですから、
物事がうまくいくであろうとか
世界が平和になるであろうとか
そんな期待は全くない中であっても、
人々の救済に命をかけた。
その姿こそが「まこと」の「Bhakti」というあり方なのであろうと観じました。
一切の期待をせず、ただ生き抜こう、やり抜こう。
そう心に留めることができました。
最後に
新幹線で浮かんだ詩をここに残します。
ただ ただ 平和を祈り? 命を 平和のために捧げた たくさんの先人達の 何千年もの祈り ✨ 祈りはどんな形ももたず どんな抵抗もせず どんな支配もしない ✨✨?✨✨ だけれども 確実に 時を超えて 私たちの魂に 響いてくる ✨✨?✨✨ 祈りの薫り ✨✨?✨✨ 空海と 名前を遺せなかった その地を護る人々の 愛✨ ✨✨?✨✨ 特殊な能力を持つ偉人だったからではなく きっと あなたも 人だった ✨✨?✨✨ 名前を遺せなかった人々の痛みを 魂に刻んだからこそ 無念さに魂が痛んだからこそ 平和のために 心血を注いだのでしょう ✨✨?✨✨ その跡には また たくさんの 美しい魂達が 平和のために魂を捧げることを 未来永劫まで約束していました ✨✨✨?✨✨✨
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