私が坊主だったら…

私が袈裟を着ていたら…

私がインド人だったら…

私がインドに住んでたら…

どっかの偉い人の元で修行でもしてたら…

 

きっとみんな信じてくれるんでしょうけどね

 

ふっつーーーーーの主婦で

 

ほんと

 

ただ愛ってなんだろうっていう

 

好奇心ひとつでここまで来ちゃいました

 

 

 

見渡してみれば

 

理解者がいないところまでやってきてしまった…

 

というわけなんです。

 

早すぎては売れない。書籍の世界の常識。

 

でも、黙ってもいられない。

 

ここは先行く人が訪れる場所なのでしょう。

 

私が体験したことを

 

タントラグループでシェアしても

 

信じてもらえないっていう体験もあった中

 

ウッタム(インド人の瞑想者)とトーシャン(日本人の瞑想者)との出逢いは救いでした

 

すぐに理解してくれた。

 

 

もうその辺りの僧侶ではダメだった。

 

空海くらいの人じゃないと。

 

空海は知っていた、永遠の真理に到達した宗教とそうでない宗教があると…。

 

そうなんです。

 

そこに到達した人でないといくら袈裟を着ていても私の話しは分かってもらえないでしょう。

 

高野山の中に探せばいるんだろうけど、

 

私の周りにはいなかった。

 

たった1人でもがき苦しみ見つけ出した答えは

 

ウッタムと同じだった。

 

ウッタムはこう言ってます。。

 

 

※これは世界中を瞑想してまわっているウッタムの言葉だぞっ!!!笑

 

以下ウッタムの言葉です。。。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

英語には愛を表現する言葉が

 

ひとつしかありませんが、

 

インドには4つの異なった 表し方があり、

 

それぞれの段階に

 

それなりの喜びと苦しみがあります。

 

その違いを知らなければ、

 

愛はひたすら苦悩になります。

 

 

愛は混乱である。ということ。。。

それを覚悟したうえで進む

第三段階と第四段階があるということ。。。

 

 

 

 愛の第一段階
 
 第一段階の愛は pyaar(ピアール)と呼ばれます。
 
この愛は肉体に基づいており、 ホルモンによって支配されています。
 
ふたつの肉体の出会いです。
 
肉体は時間の概念に縛られているので、 そこから抜け出すことはできず、 時間が過ぎることを恐れ、 出会いの時間が短いと嘆きます。
 
肉体は固形物なので、 ひとつに混じり合うことはできません。
 
短時間出会うことはできますが、 長時間の別離を強いられます。
 
肉体に基づいた愛では、 少し喜びを味わうことができますが、 そのほとんどを占めているのは苦悩です。
 
しかし、 この苦悩がより深い愛への挑戦を 手助けしてくれるのです。
 
これこそが自然の恩恵といえるでしょう。
 
苦悩はやっかいなものではなく、 わたしたちを手助けしてくれるツールなのです。
 
動物は苦悩というものを 知らないので、 次の段階の愛に行くことができないのです。
 
 
 
 
 
愛の第二段階
 
 
それはprem(プレム)と呼ばれます。
 
プレムの領域になると、 愛はより心理的、感情的になります。
 
愛とはこうあるべき、 という思い込みや期待が、 映画や歌や詩に表現されるのはこの段階です。
 
いつも恋人を心に感じていたい、 いつも気持ちはひとつでいたい。
 
わたしたちは、ネットやスマホを 使って絶え間なくつながろうとします。
 
しかし、マインドというものは 想像と幻想に支配されていて、 それもすぐにネガティブな方へ 傾くようにできているので、 そこで心に傷を負い、 その痛みは苦悩を引き起こします。 また、倦怠という障害も心に 入り込んできます。
 
マインドはいつも何か新しいことを 求めているので、 今ある愛は古臭くなり 飽きてしまいます。 傷つかなければ、飽きる。
 
どちらにしても、苦悩は始まり、 セラピストや心理カウンセラーの出番がやってきます。 十分に苦しみを味わったうちの 幾人かは、第三段階の愛へジャンプすることに成功します。
 
 
 
 
 
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