一期一会。

この広い世界の中で、こうしてブログ読者様と繋がりご縁をいただいているのもひとつのギフトとして想っております。

わたしが出版した本は、自分という命そのものを包み隠さずブログや本やこういったページで公開することで高次元だと想われがちなスピリチュアリズムや心理的なプロセスと出来るだけ分かりやすく、体感をもって感じていただけるようにと想っております。

良くなろう。

改善しよう。

そういった想いが2元を産み、影を産み、苦しみを産みます。

資本主義では「成功や正解」を良しとし、それ以外が悪いものとするため、

(痩せよう、豊かであろう)

人間にエゴが産まれ、苦しみが産まれています。

命における、苦しみも悲しみも怒りも嫉妬も憎悪も別れも、歓びも美しさも感動も優しさも尊さも、すべてが彩りであり、輝きであるということ、

すべての2元性を脱したときに、人は見ている世界を本当に美しく感じるということを、お伝えしてきましたね。

まだ読んで日が浅い方はそういったことは前半に書いてきたかもしれませんので、前半をお読みいただければと想います。

ですからわたしは覚者でもなく、発展途上の人間として、今もこうして皆さんと学んでいるつもりです。

MBIオンラインプログラムは

https://www.cloverpub.jp/senooprg/

自分と向き合うことのスタートセットとしてご用意したプログラムでもあり

その先は、更に深く自分を超えた領域と向き合っていくことになります。

ただ在るという境地は

人生をやり尽くしていない人がやっても

たぶん

やり尽くしたくなるのではないかと

私は想っています。

 

20歳の時に瞑想し、ああ、瞬間瞬間気付き続ければこれほどまでに平穏が訪れるのだと気付いたにも関わらず、

私はそれを選択しませんでした。

他に経験したいことがある!と感じたからです

だから、ずぶずぶに闇に落ちたり、光を経験したり

それはそれは2元の光と闇をやり尽くしたわけです。

そうしてようやくもう充分だなぁと想えた。

想えていない人間に

それを呈示しても、どうしてもそういう気持ちにはなれないはずなんです。

 

きっと画面の向こうで頷いている人がたくさんいることでしょう。

 

ですから正解などない。

 

この世界の中であなたはいつでも自由であるということを強く伝えておきたいと想います。

 

私たちはすでにルールのある世界に落ちてきました。

自分の人生が何が起きて、どういう場所に向かうのかというのを本質的に私たちは与えられる側であり、決定した側ではないという事実があります。

春夏秋冬、朝昼晩を選べないように…

地球と月の位置が変えられないように…

すべての人生を受け取る側としてスタートしている

すべての人生は自分で創造しているというのは「神という自分の視点」においてそうであり、

自分自身はそんなつもりはないわけです

ですから、「どうしてこんな現実を起こしたんだろう」という問いに対して、

説明は出来るけれど、理由は「ほんとうのところはわからない」ということになります。

事実は『体験がある』ということ。「なんらかの感覚がある」

ただその体験があり、その事実を受け取っている

そこに良い悪いは大脳皮質レベルのジャッジであり、

神の視点ではおそらくすべては完璧であるという想像を人間がしているだけ

理由は置いておいて、

その現実を創造したという事実はある

意識が現実を創造している

私たちは現実を体験しているのではなく、意識が「感覚」を選択している

それに良い悪いはなく、それぞれ「体験するため」「感じるため」に起きています

それぞれに
何かが「起きている」

誰かに傷つくことを言われた
誰かに不快な想いをさせられた

そういった感情体験はとどめなければ美しいものでもあります

怒り、恐れ、悲しみ、歓び、

人生を振り返ってみると強い感情を体験したものほど心に残っているものです

人生に何かを求められるのではなく、理由もなく人生を体験している

選択したわけでもなく朝が来て夜が来て、春がきて冬がくる

苦しさの根本が「受け入れない」ことにあります

よくなろうとすることにあります

苦しみたくないと想うことにあります

起きている体験を拒まずに味わいつくすとき

明け渡すとき

信頼という言葉を超えたプレゼンス(ただ在る)が広がっていくように感じます

人生をコントロールすることをやめて
振り回されるということもやめて
「呼吸すらやめた」by 大上さん

目の前にやってきたことに全面的に明け渡す

目の前にやってきたこと…

私たちは「起きたこと」にどうあればいいのか。

アクシデントに対して、「どうあればいいのか」…

この世界にあるのは「愛」か「恐れ」の2種類

どうあればいいのか「愛」か「恐れ」か

人生に起きることを
YESとしたとき
ギフトです

私たちはこの世界でなにを選んでもゆるされている

無条件の愛でゆるされている

だから影を選ぶことも、罪悪感すら選ぶことも

自由に選択できる

イエスキリストは奇跡のちからを持ちながら、なぜ悪者にひどい仕打ちを受けて十字架で亡くなる必要があったのか…

それは身をもって無条件の愛を伝えるためだった

すべてを赦し、受け入れるという無条件の愛を歴史を超えて私たちまで伝えるため…

十字架は善と悪の2元

善と悪、光と影、陰と陽
そのすべてを無条件の愛で赦し受け入れた形

私たちは恐れを選ぶこともできるし
愛を選ぶこともできる

自由

ほんとうに自由

人生の陰と陽を両方極めて、無限の愛に辿り着き
人生の陰と陽を許して、無条件の愛に辿り着く…

無条件の愛と、無限の愛の両方が
自分の中に同時に存在したとき
内なる真の統合が起こるのかもしれない

何が真実か、何が現実化ということに意味はなく、
そこを証明することの出来ない世界に私たちは生きています。

それぞれが体験した世界を私は強制もコントロールも出来ない

すべては「起こる」

起きた事に対して

選べるのは

この二つの意識だけ

愛か恐れか

毎瞬毎瞬どの意識の中にいたいのか選べる

 

言葉も

行動も

意識も

 

愛も恐れも選べる

 

そのどちらに自分がいるのか

気付いた瞬間に

ちゃんと向き合って味わいつくしていこう

 

 

長文ご拝読ありがとうございました♡

 

 

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