なにからお伝えしたらいいか

 

溢れるほどのたくさんの気づきがあって

 

ほんとうに

 

伝えきれない感覚ですが

 

思いつくままに

 

気付いた学びを

 

シェアしたいと想います。

 

 

 

私たちは

 

幸福と想われる出来事があれば、それを渇望し

不幸と想われる出来事があれば、それを嫌悪します。

 

 

どんな出来事が起きても

渇望も嫌悪もせず、平静さを保つためには、中庸を保ためには

自分に気づき続けなければなりません。

 

私は

 

ありのままという言葉の意味を

 

とりちがえ

 

自分に気付き続けることなく

 

無智の中にあったように想います。

 

 

闇があれば

 

その闇に身を投じて

 

すべてを体験しきることで私は闇はいらないと悟りました。

 

その過程はとても大きな学びでしたが

 

もし私に叡智があれば

 

自分に気づき続けることができたので愛にとどまれました。

 

ですが昨年の私はOSHOの言葉に翻弄されていました。

 

どんな体験も赦すことを徹底していました。

 

OSHOとブッタのどちらが正しいとかではなくて、完璧なタイミングで必要なことが起きていたのだとは想いますが、

 

その両方を体験して感じるのは

 

やはり気付き続けることが大切であるということ…。

 

ありのままといっても

 

自分に気づきつづけ、渇望や嫌悪をせず、中庸であること

自分に気付くことなく、渇望や嫌悪に翻弄されるのでは

 

全然ちがうということを

 

大上さんに教えてもらいました。

 

 

 

そして、私は無条件の愛についても、

相手に無条件に愛を与えることのように勘違いしていたように想います。

それによって、私は自分を失い、苦しみました。

 

 

無条件の愛は

 

自分をしあわせにしてくれるものでした。

 

 

本当に何も求めず

言葉や態度を求めることでもなく

肉体や保証やそばにいることを求めることでもない

ただ愛するだけの歓び

 

 

それは無条件に相手に尽くすことではなくて、

ほんとうにほんとうに自分を幸福にする内面の幸福でした。

 

 

これも大上さんによって教えていただきました。

 

 

これはOSHO瞑想での嫉妬を超える体験があってこそ、至れた事だと想いますから、本当にOSHOによって、嫉妬に身を投じた体験は、私にとっては必要なことであったと想います。ですから、上記のことは、本当に、何かが間違っているという意味ではありません。きっとそれぞれが必要なことを体験している。

 

 

二元性を超えるためにはあらゆる体験が必要だったので

私の人生に起きていたことのすべてが完璧であったと想います。

 

 

 

そして、見えてきたのは

私は中庸にとどまるどころか

ブログの波動も、日常の波動も

 

常に不安定であるということ。

 

そこは「ありのまま」でOKなわけではないということ。

 

 

この部分こそ、自分の超えなければならない課題であるということに直面しました。

 

 

 

ほんとうに、「ただ在る」を

どれほどまでに24時間365日

ぶれずに継続できるか

 

それが大上さんの治療の凄さでもあったのです。

 

 

勉強したからでもなく

生まれ持った才能があったからでもなく

 

コツコツと重ねている

「ただ在る」という

「中庸」という

「愛のど真ん中」で居続けることを

どれほどまでに24時間365日

ぶれずに継続できるか

 

 

それが「結果」となって顕われていただけだった。

 

 

 

もう自分の至らなさ、未熟さを痛切に感じました。

 

 

 

まずはそこからやり直したい。

 

 

今は痛切にそれを感じています^^

 

 

新しい扉を前に

 

 

一歩一歩歩みを進めたいと想います。

 

 

また

 

 

 

近日中にSkypeでヴィパサナー瞑想を朝4時と夜0時にやろうと想っています。

 

この瞑想は一度ヴィパサナー瞑想を体験した方でないと参加できないという約束があるので、参加した方のみになります。(もちろん、無料です。ヴィパサナー瞑想は営利を禁止されています。)

 

 

 

 

 

 

 

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