地球の学びの友達へ♡

私は愛であろうとして、true loveを書いたあとに、超闇に落ちて、学んだことがあってね。

愛であろうとすると弊害がでるってことがありました。

あろう!ってコントロールがあると、

窮屈になる。

無理がでて、自分を責めたりしてしまう。

愛じゃない自分を見つけて、そういう自分を責めたり、

そうじゃない他者を排除してしまうっってことがあってね。

それって2元だった。

それでOSHOにどん底に突き落とされて、これでもかって闇に落ちて、

闇すらも排除しないっていう境地へと至った。

だから、愛にとどまるためには、まずは全部の自分にイエスって言わないと無理なんだよね。

そしたら、全部の他者にイエスって言えた。

愛って溢れるもので、「溢れさせる」ものではないし、コントロールするものでもないはずだから…。

ただ!それは闇であっていいって意味じゃなくて、

愛ではないものが出たら、即座に、

そこを観察して、もう一度「ただ在る」に戻すっていう注意深く自分を見つめていく必要があって、それが人生っていう瞑想でもあるんだろうなと。

それを繰り返しているうちにほんとうに力の抜けたところで

何が起きても愛にとどまっていられるようになるんだろうな・・。

闇や怒りや暴力や悪がオッケーって意味じゃなくて、

瞬間的に気付けるようになるっていうのを目指していくっていうのが、

愛であるってことなんだろうなって。

注意深く注意深く、愛ではない恐れに気付いたら

自分は愛にとどまるっていうのの繰り返しで。

そこへ行きたいっておもってる!!

こんな未熟な私ですが、どうぞよろしくお願いします!

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