苦しみからの解放

誰かをかわいそうと思わない優しさ

3.11のたびに疑問に思うんだけど、「被災者」「被災地」って表現ね。

言葉は言霊、その音だけで現実を創造しているっていうのに気付いてない人が使ってしまう言葉だよね。

だって、「被害を被った人々」という認識は一向に状況を改善させませんからね。

「被害を被った人々」ではなくて「最善が起きて、それを解決していける人々」なんだよね。

それは虐待を受けていようと、何であろうと、世間一般でかわいそうと思われるような立場に立たされる人は全て、そんな「被害者」なんて思ってはいけない。

「最善が起きて、それを解決していける人々」なんだから。

MBIカウンセラーは変化にコミットするため、「最善が起きて、それを解決していける人々」という大前提でセッションを始めますから、これは当然です。

が、世間一般の意識というのが現実を簡単に創造する領域に入ってしまったなぁと思うので…。

尚のこと、繊細に微細に自分の思考や言葉のパターンに注意しなければならないなとも思います。

他人のことなどどうでも良いとお思いかもしれませんが、

世界が平和になること=わたしが平和になること

わたしが平和になること=世界が平和になること

ですから、誰かを幸せにできることは自分自身の安らぎが広がることになります。

他の誰かをかわいそうと思わないこと。

どんな相手にも、最善が起きていると信じて、その人の光と愛を信じること。

これほど大切なことはないと思います?

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