5名までは自由を感じられる
20名からは問題を感じる
100名になるとルールとリーダーが必要になる。
というのは父親から聞いた話だ。
例えば、中華料理とインド料理とタイ料理と日本料理が食べたい時
しかも、中華料理の中でも飲茶セットが食べたい人がいて
インド料理の中でもサモサだけを食べたい人がいて
タイ料理といってもグリーンカレーが食べたいのであって、他のは嫌だという場合
5名までは完全に自由が尊重されるかもしれない。
(日程を変えたら、みんながそれぞれ食べたいものが食べに行ける)
20名になると
みんなの意見が大体揃う形でグループ分けできる
100名になると
誰かが我慢する必要が出てくる
なので、自由になれるかどうかはエコビレッジのリーダーによるものが原因なのではなく
物理的に自由というのは少人数で叶う
だから、人々は核家族化していった
ところが、核家族化した人々は
子育ての負担が大きく感じて、長屋の素晴らしさを感じるようになった
そこにはある程度の不自由さがある
そして、長屋での自由は、対話が必須になる
あらゆる価値観の人々が互いに話し合い、わかり合おうとすることが大事になる
大きな人数が自由になるには、対話ができ、他者を容認できる意識レベルが個々に必要となる。
つまり、自由というのはその人の内側にどんな他者の多様性も認められる自由さがそのまま世界となっているだけなのだということなのではないか。
妹尾通信
コメント