2024年、あんなに憧れていたエコビレッジへの憧れがなくなった。
今まで恋焦がれていたエコビレッジへの期待とそれに向けた行動とその変遷を自分の記録のために書いていこうと思う。
2024.9.4世界中のエコビレッジを旅して回った谷崎テトラさんが東北に講演にいらしてくださるのを機会に、私の体験したことをシェアしたいと思う。
私は都内で子供を産み育てました。
子供が進化した魂(発達ちゃん)であったため、公立の保育園に馴染めず
近所のオルタナティブな保育園に転園することになりました。
そこでは自由が尊重され、「みんな違ってみんないい」というスローガンを掲げ、
やりたくないことはやらない
やりたいことをやりたい人がやる
子どもはみんなの子どもだからみんなで育てよう
という信念をみんなが共有していたので
いわゆるエコビレッジのように
互いの多様性が比較的尊重され、とても過ごしやすく、幸せな育児をしていたと思います。
みんなが自由になった時
トイレ掃除が主体性に任せるという風になった時に
トイレ掃除だけが
ほとんどの人がやらずスタッフがやっているという状況になることがありました。
ルールというのは、こういう時に役立つのかと思った瞬間でした。
誰もがやりたくない損する役割みたいなのが、集団の中にあった時、それを主体的にやるかどうかという部分は、おそらく、よっぽどそのチームの中に愛の交流があって、互いが互いのために役に立ちたいという願いと思いが強い時に叶うのであって、
時にルールや縛りというのは
人が怠惰してしまう時に、背中を押してくれる応援旗のような役割をすることもあるのだと思います。
怠惰を一喝してくれる不動明王みたいな人が、人として存在するとそれはその人に大きな負担が生まれます。
ルールであると、それはきっと守り神みたいな役割になるのかもしれません。
コメント