Yoga聖典の学びにどっぷり浸かりすぎていた時、
asana(yogaでもポーズの完成を中心に学ぶ)の先生が、
「お前は頭から緑か黒の液体が出てきそうだから、一回聖典の学びをやめなさい」と言った。
ここまで積み上げてきたものを捨てるのが嫌で、しばらく先生と問答したが、
インドの先生は生徒の話なんかにいちいち耳を傾けない。
「やめなさい」の一点張りで、私は渋々、聖典の学びをおやすみした。
その後、身体を整えるyogaに集中し、苦手だったから時間はかかったけれど、健康を取り戻し、
今日、再び、聖典の学びを再開した。
命の神秘に真摯に向き合う仲間がいること
Yogaの学びを共に歩めることの有り難さ
みんなが誠実に一歩一歩、懸命に学ぶ姿に大きな力をもらう。
宮城県にアシュラムができたらどんなにいいだろうなぁ。
共に、平和に向かう仲間
共に、自分を省みて、成長しあうことを喜びあう仲間
そんな輪が広がることを想像するだけでhappyな気分になる。
私はカウンセラーだけど、カウンセラーやコーチング技術に答えはないと思っている
(ある程度の知識は役に立つけれど)
結局は自身の生き方が人を癒せるかとイコールだから。
最初にシェアしたい話題の動画について
今日はみんなに少しだけ最近の発見と、
Yogaの学びをシェアしたいと思います。
久しぶりのブログだから、文章たくさん書こうと思います。
一冊の本を読む感じでお付き合いいただければと思います。
最近流行っている「ねとジュン」さん。
彼女の教えはまさにブッタの推奨したvipassana瞑想のことで、
思考せず、身体感覚にフォーカスし続けるという悟り方のこと。
(個人的には、それを悟りだと断言してしまうところがすごいなと思いました。)
https://www.youtube.com/@user-vn2tv7lk8t
彼女が素晴らしいのは、引き寄せやワクワクの法則をぶった切っているところ
近年のスピリチュアルの流行によって、引き寄せ、やワクワクの法則など、ポジティブ思考を偏って好む思考を生み出しているけれど、実はそこに大きな弊害がある。
ワクワクすること、ポジティブなことを渇望するときに、ネガティブなことを毛嫌いしていることになり、
必然的に二元性が生まれ、苦しみが生まれるというカラクリだ。
本当に二元性を超え、
全てに降伏し
神に明け渡す境地へと
真実へと辿り着くのなら
平穏でなければならない理由などない
私たちは闇がなければ
眠ることができない
深い闇に落ちてこそ
ようやく
闇も光も
ひとつのものから生まれたもので
全てが愛なのだと知る
ポジティブでいましょう!というスピリチュアルブーム
それにとって代わって、人々に説得力のある手法を伝えたのがこの彼女「ねどじゅん」さん
ねとじゅんさんは、ただ思考をやめたら、それだけで悟りますよと、シンプルに説明したのだ。
それはまさに真実で、yogaの学び、veda聖典とも通じる内容だったので、今回シェアすることにした。
彼女の話では、思考をやめて、完全に右脳の導くままに任せる方が、自分の想像を超えた幸福が起こるよ、と、
つまりイメージして、どんな未来を描くかとか
満月に願いを投げるとか
ビジョンボードなどで未来をコントロールする必要などなく
思考をやめて直感的に生きれば
人は幸せになれるよと断言したのだ。
(そもそも幸せは今ここに無限に溢れているという感覚のこと)
ここがスピリチュアル界の革命を巻き起こし、話題となったというわけだ。
ねとじゅんさんとveda聖典の共通点
yogaの学びで大切なのは「神への明け渡し」という在り方。
これをバガバットギータという聖典ではこう説明している。
アルジュナ(生徒)は言う「僕の魂の使命は戦うことだと思う。自分でそれを理解できるほどに、戦うことに長けている。しかし、目の前にいるのは僕の大切な人ばかりではないか?愛する人を傷つけたくない!戦いたくないよ!」と苦悩する。
クリシュナ(師)は言う「あなたが最も功徳を積む在り方は、役割を全うすること。つまり、戦うことです。例え、それがあなたにとって苦しいことであっても、相手を傷つけることであっても。つまり、それこそが神に明け渡すと言うことなのです」
つまり、世の中の善悪や道徳で物事を判断して、頭でっかちに行為を行うなよ!
あなたにとって正しい行為とは
純粋な体に宿り
嘘のない本心の言葉を使い
マインド・思考に惑わされずにハートに従い
全てを愛として見て(善悪で判断せずに)、聞いて、感じて、反応し
考えから生まれるジャッジに惑わされることなく
魂のままに生きることなんだよ
ねとじゅんさんは言う「わたしがなくなってくると、神と一つなのだとわかるのです」と。
神に与えられた使命を果たすことと vs SNSのフォローを増やすこと
例えば、私は人々を「真理」に導くお役目がある。
「真理」なんて、眠っている人にとっては痛くて、たまらない。
夫に経済的に依存していながら、夫の悪口を言って、ポジティブ思考でいれば幸せになるんだなんて信仰しているスピリチュアル迷子の人に、
「あなたはまず経済的に夫に依存しているのだから、夫に感謝を持つ方が良いでしょう。そして、経済的に自立し、自由を手に入れる方がもっとポジティブに人生をクリエイトできますよ。」なんて現実を見せようものなら、
甘い蜜を吸って、現実を見て見ぬふりをしていた彼女には痛すぎて、
言葉が暴力にしか聞こえない!
なんてことを言うの!
セッションでは、これに近いようなことが起こる。
(実際は、私が伝えるわけではなく、本人が自分の見ていなかった逃げてきた部分に向き合うことになる。)
そうなると、カウンセラーの私は恨まれてしまうことがある。
「今までずっと見ないふりして逃げてたのに!どうしてそんなことに直面させるの!もっと甘い汁を吸っていたいのに!」と。
不倫をしていて、離婚したいという女性や男性も同じで、離婚したいと言いながら、離婚したいと言っている夫や妻と肉体関係を持っていたり、(自分の心や言葉で嘘をついていたり)経済的、もしくは生活面でパートナーに依存して、メリットがあったりする。
そんなクライアントの願いをさあ、叶えてあげましょう!となると、
どうしても、その甘い蜜を吸うのをやめてから、別の健全な道を歩んでもらうしかない。
そこでみんな躊躇する。
「やっぱり変わりたくないです。」と。
明け渡しの生き方は
嘘をついて生きてきた人にとっては非常に厳しいのだ。
ゆえに、その人の真我の方向性が見える私にとって、私を生きるとは、時に表面上、相手の痛いところをついてしまうことでもある。その時に、優しい人のふりをして、ぶりっこをして、SNSのフォロワーを増やした方が、きっとビジネスがうまくいくのかも知れない。
それでも、yogaを学ぶ私は、神に明け渡し、感じるままに生きることを選ぶしかないのだ。
自分が自分に嘘をついてしまった分、それを取り返すときにはちと痛い
私がFlameを立ち上げたとき、
自分の魂に嘘をついたことを全て、謝り、ありのままの自分を生きる覚悟をした。
その時に、嘘をついていたことは全部剥がれ落ちた。
仕事、交友関係、
とにかく、ありとあらゆるものを失った。
失ったと、思った。
それから、構築した、本当に自分がしたいことだけを選んで、
そこから生まれた世界は
猛スピードで私を幸せにしたのだった。
Bhaktih
bhaktihとは、献身と訳されるけれど、
親切で優しくてマリア様のようなことを言うのではない。
Bhaktihとは神への明け渡しであり、
例えば、アルジュナのように、時に人を殺すことでさえも、
人智を超えた神の采配を受け入れ、それに委ねることなのだ。
こうであってほしい、こうであるべきだ
そんな人間の考えるちっぽけな考えを超えたところに
神の視点があり、
私たちが、それに委ねることができたなら、
それは生きとし生ける全てのものとつながるデータバンクと一つになって
命が一つとしてのバランスをとり
全ての人が
全ての人にとっての幸福に役立つ存在として在ることができる
p.s.
著書:無限の愛という本はそれについても書いた本でもあります。
よかったら読み返してみてね!発見があるかもよ〜!
コメント