今回はマジでキツかったっす。
今までの瞑想の中で一番キツかったっす。
私は20歳の時に「瞑想」「前世」「悟り」という言葉を一切知らずにvipassana瞑想に参加して
たった一回の参加でニルヴァーナ(vipassana用語ではニッパーナ)を体験しました。
前世も全て観て、
世界の仕組みの全てを理解し、
完全に思考が滅され、
いまここを生きるようになりました。
帰りの電車では周囲に座る人が涙を流すという現象が起こりました。
私は瞑想ってこういうものなんだと思っただけで
前世を見たとも自覚してなかったし、
ニルヴァーナであったことも、当時は知りませんでした
しかしこの日から、
私は人の意識がわかるようになり
自分の心と空が連動するようになり
(天気の子とか巫女っていうのは、わたしが世界と溶け合うので、空と一つになります。)
未来が見通せる力を持ちました
前世ですでに悟りまでを体験している人は
若くして、努力することなく目覚めることがある
と聖典にありますが、私はそれであったようです。
しかし、
私は若かったので、そうであることを誰にも認めてもらえませんでした
そして、私が頭がおかしいのだと思って、
なんとか社会に合わせようとディセンションを努力してきた人生でした
そんな私もvipassana瞑想5回目
とうとう列も最前列になりました
動けない、、、もう前がいない、、、
甘えがきかない状況
しかもひどい生理期間(手術が決まっているほどの)がまるかぶりです
おかげで呼吸がかなり深くなり
呼吸数は1分に2回くらいまでになりました
何度か呼吸が止まり
思考が完全に停止するようになりました
それでわかったのは
ニルヴァーナなんてどうでもいいこと
背中から溶け出す体験なんてどうでもいいこと
何より大切なのは「平静さ」「反応しないこと」であり「ジャッジしないこと」でした
これを
瞑想をスタートしてから25年にして
ようやく本気で理解し
マジで瞑想実践者になりますと心に誓いました
あの痛さにマジで覚悟を決めました
死んだ〜
マジでつんだ〜
終わった今、まだ歩いていても微細な波動を体の周囲に感じてます
今まで、瞑想をなめまくってました
サボりまくってました
毎日しなくたっていい
だって1回でニルヴァーナ体験したから
本当にごめんなさい
私は何もわかってなかった
私は今から瞑想者です
本当の実践者です
ブッタでさえ、毎日やらなきゃダメなものだったんです
実践し続けるものだったんです
すごく大切なことに気付かされた5回目の瞑想の参加でした
そして、偶然にも瞑想終了日は、veda聖典の講読の日でした。
カーラナシャリーラというかなり難しい説明の日でした。
これによって
あの微細な波動は実はカーラナシャリーラであることも、体感として理解しました。
つまり今回の瞑想で
私は20歳での体験をみんなに言葉にする準備が整ったのです。
(MBI研究所の皆さんお楽しみに!)
実はDNAを癒すワークは20歳でのnirvanaの体験をもとに作っているのですが
説明のしようがないと思っていましたが
Buddhaの参考にしていた経典でもあるveda聖典の購読を通して
完全に言葉でも説明できるようになりました
人生でこれは本物だと思ったのは
①vipassana瞑想
②veda聖典(ヴェーダンダ)です
vedaはBuddhaが学んだ経典です
彼はvedaの中に眠っていたvipassanaの智慧を復活させ成就させた人です
彼が病気を治していたのはおそらくこの瞑想の伝達によってです
おそらく手かざしとか不思議な力ではないです
実際にvipassanaを体験すれば意識が病気を作り出していることを体験します
vipassanaを体験すれば神社も寺もお守りもいらないことに気づきます
(お寺や神社にはその本質を理解して日々勤めている素晴らしい方々がいっぱいいます。我が夫もお守りはいらないと言っていますし、ほとんど置いてません。)
vipassanaはとても現実主義です
veda聖典もとても科学的です
yogaも科学です
今日、病院にいった時に目を瞑じていると
隣を歩くおばあちゃんの波動と私の波動が僅かに交流していることがわかりました
人というのはそばにいるだけでエネルギーを交流させているということを体感しました
これは事実であり
そういう感じがするということではなく
微細な振動を観れるようになるということです
これからブログに書くことは
vipassana瞑想とは一切関係のないストーリーです
事実ではない妄想を神話とする日本のスピリチュアル業界の闇に切り込みを入れたいと思います
<読んで欲しい人>
情欲の強い経営者、
リーダー嫉妬心に苦しむ人々
ツインレイと不倫している人
ツインレイがいると感じている人
<読んで欲しくない人>
これから初めてvipassanaを体験しようとしている人
(初めてvipassanaを体験しようとしてても、経営者の皆さんは必ず読んでください)
本当のグルに出逢うとき
怒りが生まれるそうです
なぜなら
エゴは死にたくないからです
もしあなたが
強い情欲により
人を傷つけてきたなら
その情欲
(エゴ)は生き延びるために
色々な言い訳をし
居座り続けようとします
怒りが湧いたら
情欲が抵抗しているのかもしれないと
自覚して
読み進めてください
エゴの卒業の先にしか
真の幸福は存在しえません
最初は子宮筋腫の痛みがすごくて
それを観る時間が長く続きました
そこから出て来た記憶はなんと
ある男性が傷つけてきた
十数人もの女性達の恨み、怒り、憎しみ、悲しみだったのです
記憶を失って湧いてきた怒りは
ある男性が傷つけた女性たちの願い
「あいつを懲らしめてほしい」という怒り
それらが子宮筋腫となって
私の体に痛みとして出ていたのです
『なんであんたが傷つけた女の恨みをわたしが引き受けなきゃいけないの!』と思いました
そしてその怒りは私のものではないことに気づくとそれらを手放していき
ふたたび
全てへの慈しみと愛のみがのこりました
そのあと、
会陰のあたりを観てくと
情欲の昇華が始まりました
もうこれはさらに悶絶級の苦しみでした
ヴィパサナー瞑想では
基本的に
自分の身体を観ていますから
自分の行い
自分の過去の罪を観る事になります
が
なぜか
他者の罪や穢れが
わたしの身体から溢れるのです
私は以前、瞑想で呼吸が完全に止まった時に異空間に移動したことがあります。
フラワーオブライフ(生命の樹)をしたから見上げているのです。
フラワーオブライフは実際は立体でした。
そのフラワーオブライフ(生命の樹)は私の呼吸と連動していました。
魂の地図だったのです。
省略しますが、フラワーオブライフ(生命の樹)には節目がありますが、その中央部分がチャクラになります。
この節目の部分を完全に共有する魂がいます。
これは科学的な反応であり、何かロマンチックなものではなく、
チャクラを共有しているため、
相手の感情が時空間を超えて共有されます。
今回の瞑想では何度か呼吸が止まったのですが
その時に自分ではないもう一人を感じました。
先生に質問しましたが、そのような体験はないし、わからないという回答でした。
この情欲の昇華が長く続き
生理が終わるとととに
これらは終わりました
わたしの生理痛は
情欲から産まれる渇望という苦しみだったのです
情欲からは渇望が生まれ、苦しみが起きます
無条件の愛
愛が所有を超えること
情欲を超えた先に
聖なる性が存在するようです
それはお互いに神聖さを内側に宿した者のみが体験する者であり
運命的な出会いをしたと情欲を肯定させるために「神様が認めたツインレイなのだから」と家族に嘘や偽りを隠すような人々が体験することはあり得ません
無条件の愛に到達した人
愛が所有を超えている人
情欲を超えた人が
嫉妬をしたり、嘘をついたりするでしょうか?
ツインレイ神話に取り憑かれ執着に貶め
情欲によって女性をコントロールし
嘘をついて快楽に溺れている経営者の皆さん
目を覚ましましょうね🤍
情欲を超えたら何が起こるのか
それは家族制度の崩壊です
無条件の愛に至ること
愛が所有を超えること
情欲を超えること
これらは家族制度を崩壊させ
アセンションした世界
地球家族の誕生に必須な項目なのです
世界三大カウンセラーエリクソンが
血縁制度が精神疾患を作っていると言っていましたが
この言葉にはとても考えさせられます
どうなれば精神疾患はなくなるか
それは地球家族になること
大きな家族になることではないでしょうか
そのために必要なのが
この三つ
人類が
無条件の愛に到達し
愛が所有を超え
情欲を超える必要があります
単に縄文時代に戻ればいいという話ではありません
人類の意識が
進化するのです
所有の愛を超えさせられるような体験
無条件の愛に導かれるような体験
情欲を超えることを求められるような体験を
多くの人々がしていくでしょう
そして
それに気づいた人々が
表面上の好きな人と一緒にいるとか一緒に仕事するとか稚拙なことではなく
その「真の幸福」を人々にシェアしていく必要があります
Buddhaは悟りの最後に悪魔に飲み込まれそうになったと言っていますが
私は
この3つの部分なのではないかな〜と思ったりしています
知らんけど
長くなりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント