今日はとっても大切だと想うことをみんなにシェアしたいと想います
考えて欲しい
あなたの
その眼をつかって
あと何回
目の前にいる
その人を
肉体を以て見ることが出来るかってことを?
家族・夫・妻・子供・母親・父親・祖父・祖母・親戚
仲間・会社・部活・チーム・お店の人
恋人
たくさんの関係性がある
あの人ともう会わなくなったなぁと思い出すことはあっても
あれが最後の瞬間だと
はっきり分かる別れがない人はたくさんいる
この友人とはずっと仲良くなっているはずだったのに
疎遠になっていて
もう二度と会わない人はたくさんいる
いつが最後になるかなんて
誰にもわからない
私たちは
そういう
奇跡のような時間に生きている
命という限りがあるからこそ奇跡は貴い
SNSでのコミュンケーションと
肉体と肉体が同じ場所に存在していることは
全く違う現象であるのに
私たちはそれを
同じことのように
認識している
だけど
瞑想をすると分かるけれど
もっともっと
大脳皮質の働きをやめて
体感に集中して生きてみたら分かるのだけれど
誰かを眼で見ているということの
なんたる奇跡
私たちはインターネットによって
簡単に関係性を
作れているように錯覚している
だから
ブロックという方法で
関係性を
終わらせていられていると
錯覚している
だけれど
この現実という幻想を見破ることが出来ているならば
あなたの体験している
そのブロックも解除も
あなたの内側で起きているにすぎない
例えば、
あなたの大切なお子さんを朝送り出す瞬間も、
二度と会えない最期の瞬間も
本当は等しい
すべてが「おわり」の瞬間
すべてが「はじまり」の瞬間
目覚めていないうちはその歓喜に気付けないでいる
生命は
常に
未知で
何も保証されていない
命を生きているということ
だから
この肉体を以て
見ているということがどれほど尊いことであるか
ということ
明日もどうせまた会うしは
幻想
未来も過去も幻想
いまここしか
存在してないんだ
それは残酷なほどに
おわりとはじまりなのだ
命はそれほどまでに
鮮烈で美しい!!!
ブロックしようと判断するまでの過程はすでに
相手が不在なのだ
実存は愛だから?
愛は対象がそこに生きているか生きていないかを問わない
その愛を以て
この眼で
誰かを見ているということの
奇跡を観じることが出来たなら
本当に世界は美しいと
感動に震える
すべての人が愛おしいはずだ
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