20年前とヴィパッサナー瞑想の講話が変わってたのと
20年前だから記憶がなかったのもあってね、
今回、初めて、ヴィパッサナー瞑想的true loveについて聞きました♡
(何回か聞いていたんだろうけど、聞き漏らしてました!!笑)
ヴィパッサナー瞑想の講話ではこう語られています
あなたはわたしだったのね
わたしはあなただったのね
そして、渇望や嫌悪を産み出さないとき
人はEternal loveへと到達する
と…。
(まさかヴィパサナー瞑想でEternal loveという言葉を聞くとは想わなかったので、相当鳥肌でした。号泣しました。20年かけてここへ辿り着いたのだと。瞑想ではなく、男女のドラマを通して、私は辿り着いたのです。辿り着いたといっても、固定されたものではなく、産まれては消え去るもので、私も途上です。)
無限の愛という境地…
このコース生から、ヴィパッサナーの講話まんまやん!って言われたんだけど
本気で、まじで、そんなこと意識せずに創ってたのね
嘘じゃないっす!まじでぱくってないのよ。
あの技術は小乗の悟り体験がヒントだけど
だけど、講話のことはまじで忘れてたから、
あんなにかぶってるとは想わなくて
まじでびっくりしたのよ
信じてもらえないだろうけど本当なの!(それくらいかぶってた!ブッタかぶり!)
当時はブッタがそれを広めなさいって言ったのは事実だけど
その時は「そんな私が誰かに講師とかやらないし」って感じだったんですよ。
だけど、本当に講座になってるのに今びっくりしてます。
まあ、それはいいとして
講話の中でtrue loveについて語っているっていうのもまじで忘れてて
「早く言ってよーーー
実体験で苦労したやん!」
って想ったんだけど、あれは実体験なしに瞑想だけでは超えられない気もするんですよ
だってね!
たとえば、嫉妬を超えたときも
嫉妬をしないでね、瞑想の中で渇望を手放して、嫉妬という体験しないままで、
「本当に超えました」とは言えないじゃん
嫉妬するような体験をしたときに「あれ??まじで私嫉妬していない!」って分かったときに、初めて、嫉妬を超えたって言えるわけじゃん
だから、坐禅だけしてても超えたかっていうテストは不可能だよね
そういう意味で講話を忘れていた意味があったなぁとは想いました
前置きが長くなりましたが
瞑想中にね
なんかスポットライトがあたった感覚があって
「あれ?スポットライトってないよね」って想って
でもその光がすーーーっと私だけに空から届いているようだったの
で、その瞬間給仕係の方がすすり泣く声がして
「え?スポットライトあたってるの私だよね?」って想ってね
それで
声がしてきたの
あなたが探しているものは
一雫の輝きです
ブッタから言葉をもらったのは人生2度目
一言だけなの
一回目はそれを世界に広めなさいでしょ
二回目がこれ。
で、この意味はたぶん
真実の愛は関係性ではありませんよ
ということ
真実の愛、真実の相手がいる関係性のことではない
産まれては消え去るもの
ただ一瞬の輝きであるということ
産まれては消え去るものだよということ
多くのスピリチュアルなツインレイ神話は「相手というものを想定したエゴを誘うもの」だから
多くの人が苦しむわけです
私は不倫を肯定しているツインレイ神話やツインレイの特徴を語ったごく普通の恋愛やんという突っ込みをどう言語化していいのか分からず
タントラや密教に答えを求めて探求しました
しかし、真理は一つだった
ブッタもOSHOも同じだった
この世の真理
産まれては消え去るという真理を悟り
相手を所有することはできない
愛は所有など出来ない
真実の愛とは
一歩通行で完全に満たされたものであることを
体験を通して理解していくこと
それが目覚め
男女を通した目覚め
そうなることで無条件の愛の境地や無限の愛の境地を悟っていく
それが私の著書で描かれているわけです(宇宙をこの肉体に通して書かれた本です)
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私たちは愛へと
私たちは安らぎへと
向かっています
それは決して1人のためではない
誰か個人を所有することはできない
個人を幸せにすることは不可能なんです
世界ぜんたいが幸福にならないうちは
個人の幸福はありえない 宮澤賢治
同じく、個人の幸福を無視しても
個人の幸福はありえない
この同時を満たさなければ、個人の幸福などあり得ないのです
ありえないんです
だって内側でひとつなんです
ほんとうに
すべてがひとつなのですから
だから私がずっと言っているのは
ツインレイ体験は
個人のため、個人の幸福のために起きない
個人の幸福、個人の所有の愛を満たすためには起きない
そのわたしを超えるために起きるんです
手放すために起きるのです
わたしを終えるために起きるのです
覚醒です
このあと、女性僧侶である草野妙敬さんにこのブログを贈ったのですが、
このような言葉が降りてきたのですって!!!!
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決して容易ではない
だから 明かされなかった
体験なしでは 越えられない
“わたしを超える”こと。
でもこれから 多くの人が体験していく 境地であり
特別なことではありません。
外側に反応しないことです。
思考に依らないことです。
自らを偽らないことです。
体感を軽んじ
霊性を重視 しないことです。
宇宙を信頼することです。
自身の愛を発揮することです。
他律的にならず
起きる出来事を
自律的に
受け入れる勇気、
覚悟を持つことです。
そしてそこに
くつろぐことです。
全ては
ちょうどよい
揺らぎの中で
最善へと
導かれます。
結果
わたしを超えるでしょう。
個、全体 といったカテゴライズから
自由の境地へ
とろけるでしょう。
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目覚めた者は、人間が語る見解、意見、知識や決まりごとにとらわれない。
彼は、善し悪しを判断しない。判断によって心を汚さない。心を汚す原因も作らない。
ブッタは正しい道(方法)のみを説く。
かくして「わたしが」という自意識から自由でいる。
断言しよう!!
誰かがあなたを幸せにしてくれることはない!!!
この先は師匠はいない
いつかあなたは師匠を卒業しなくてはならない
そして
あなたは全ての指針を手放し、卒業するだろう
真の自立を超えたとき
判断をやめる
すべてのジャッジを超える
しあわせになろうとするのをやめること
そこに道がある
しあわせとかふしあわせとかの判断をやめること
そこに道がある
自分で自分を超えていける
自分を超えていける
わたしを終えていける
そこにすべてと溶け合う真の自由がある
「わたし」という個を超えたとき
全てと溶け合う
それは超えられないのではなく
超えられるから
あなたに課題があるということ
つまり
願いは叶うから存在していることに安心して大丈夫
すべてを手放していける
この宇宙は優しい
一度たりとも
あなたを傷つけようとして起きることはない
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